死にゆく者の微かな救い――わたしを離さないで感想



 (本稿は『わたしを離さないで』のネタばれを含みます。)

 自分が必ず死ぬと初めて知ったのはいつだろうか。幼い子どもがそんなことを知ったら絶望のあまり泣き叫んで深いトラウマになりそうなものだが、初めて知った時のことをまるで覚えていない。きっとそのことを知った時、私は死の本当の意味を理解していなかったのだろう。ルーシー先生に「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。」と言われたヘールシャムの生徒達のように。

 『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、早川書房)はひどい話だ。主人公キャシーを始めとしたヘールシャムの生徒達はあまりに不条理な境遇におかれており、救いはない。だが、程度の違いはあれ、人間そのものがひどい境遇におかれているのである。何せ全ての人間が長さの違いはあれ、必ず死ぬのだから。必ずバットエンドだなんてひどすぎるだろう。ごくまれにでも生き返る人がいるのなら、少しは救いになるものを。

 『わたしを離さないで』はミステリーの形式を持つ。だが、通常のミステリーと違うのは、探偵役のキャシーが、真実を知るのを先延ばしにし続けることだ。それはキャシーが、真実がろくでもないということを予感していたからだろう。結局のところ、ろくでもない真実とは煎じ詰めれば「人は必ず死ぬ」ということにつながっているから、救いなどありえない。
 キャシーの周りからは次々と大切なものが失われていく。生まれ育ったヘールシャムを失い、親友のルースを失い、運命から逃れられるという希望を失い、最愛のトミーを失う。そして近い将来、自らもが失われてしまう。読んでいる最中は、わがままなルースに腹がたって仕方がなかったのだが、読後に振り返ると、こんなひどい境遇では、ルースのようにわがままになって現実逃避をする方が正常で、抑制的に振る舞い続けるキャシーの方が異常なようにも思える。何故キャシーはあらゆる希望を失ってなお自分を保っていられるのだろう。

 キャシーの人生はひどいことばかりだが、ごく稀に素晴らしいことが起こる。中でも、ヘールシャムで失くしたカセットテープをトミーと一緒にノーフォークで探すエピソードは、陰鬱なストーリーに一筋の光を放っている。例え未来に希望がなくても、人生の中で素晴らしい出来事に巡り会ったという事実だけは決して消えることはない。そのことだけが、キャシーの、そして必ず死んでしまう全ての人間にとっての救いなのではないだろうか。

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東雲製作所評論部