作家の皮をかぶった黒猫――俺の妹がこんなに可愛いわけがない3感想
伏見つかさ氏が、平和氏やいちせ氏らネット書評家と一緒に同人誌を出すらしい。(と思ったら中止になっていた。)
伏見氏は、以前から、ツイッターでネット上の『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の書評に対し、逆書評をしたりと、ネット書評家と正面から対峙している稀有な作家だ。大抵の作家は、ネット書評に対しては黙殺している。「ネット上でアマチュアが感想垂れ流してるだけなのにそういうのに権威持たせるな!」という意見に代表されるように、ネット書評家を嫌っている作家も多いようだ。そんな中、伏見氏のネット書評家への積極的なコンタクトは際立っている。何故、伏見氏はネット書評家に対し、これほど友好的なのだろうか。それを考える鍵が、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない3』にある。
(以下、抽象的なネタばれを含みます。)
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない3』は主人公京介の妹、桐乃がケータイ小説を書く話だ。話の軸には、桐乃と、友人の黒猫との対立がある。黒猫は作家になろうと三年間、必死に努力しているのに、作家にはなれない。黒猫が書きたいものが、読者が欲しているものとずれているからだ。一方の桐乃は、ろくな修練も積まずに、あっさりケータイ小説作家になる。『好きなものを好きなように行って、認められる』のだ。桐乃の好きなものが、読者の要求と合致しているからだ。黒猫が吐く怨嗟の言葉は、十年近く新人賞で落とされつづけている私には、痛いほど良く分かる。
桐乃は桐乃のままで作家になれるが、黒猫は黒猫のままではプロの作家にはなれない。プロ作家は、桐乃か、変化した黒猫のどちらかだ。本作に登場する作家、フェイトは、黒猫であることを切り捨てて、自分が好きなものではなく、読者が望むものを書こうとした作家だ。フェイトは黒猫の言動を痛々しいと酷評する。「いずれ過去の自分を殺したくなるから」改めろと。
思うに、ネット書評家を嫌う作家=フェイトであり、ネット書評家=黒猫なのではないだろうか。ネット書評家は基本的には、読者のためではなく、自分の好きなことを好きに書いている。プロとしてやっていくために、自分の好きなものを切り捨てた作家にとって、それは、否定した過去の自分を見せられるような、不快な行為にほかならない。
今年のライトノベルフェスティバルで、伏見氏は、本当はハミュッツ=メセタやベヨネッタみたいな女性が好きなのだが、それでは売れないので、封印しているとおっしゃっていた。そのことから見ても、伏見氏はかつては黒猫だったのだろう。だが、氏が黒猫や黒猫たるネット書評家によせる視線は温かい。おそらく、伏見氏は、黒猫としての自分を切り捨てるのではなく、内なる黒猫を保ったまま、表面的に読者が望むものを書くことで、プロ作家になったのではないだろうか。ネットユーザーは自らの仲間を見分けるのに敏感だ。伏見氏が内なる黒猫を持ち続けていることが、ネットで絶大な支持を得ている理由。そんな風に思うのだ。
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