現代によみがえった全体小説――ペンギン・ハイウェイ感想



 (本稿には『ペンギン・ハイウェイ』のネタばれを含むので、未読の方は『ペンギン・ハイウェイ』を読んでからお読みください。『ペンギン・ハイウェイ』を読まないなんて人生損しています。)

 『ペンギン・ハイウェイ』(森見登美彦著、角川文庫)はすごい小説である。

 ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。
 だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。


 やたら偉そうで賢すぎる小学四年生、アオヤマ君の語りがユニークで、ぐいぐい引き込まれる。アオヤマ君をとりまく人々も愛すべき、面白い人ばかりだ。しかし、『ペンギン・ハイウェイ』は面白いだけの小説ではない。

 かつて、全体小説という概念があった。普通の小説が世界の一部分を切り取ったものであるのに対し、全体小説は世界そのものを描いた小説である。二十世紀初頭には『カラマーゾフの兄弟』や『ユリシーズ』などの全体小説が次々と生み出された。だが、現在、全体小説はほとんど死に絶えた。全体小説は世界の全てを描くため、概してあまりに長くなってしまい、忙しい現代人には合わなくなってしまった。それに自分が住む町が世界と同義だった二十世紀初頭に比べ、私達の認識する世界は大きく複雑になった。多くの作家は世界全体を書くなんて無理だとあきらめてしまったのだ。

 だが、死に絶えたと思っていた全体小説が今息を吹き返した。それがペンギン・ハイウェイである。

 タイトルになっているペンギン・ハイウェイとはペンギンたちが海から陸に上がるときに決まってたどるルートのことだそうだ。海から陸へ上がるというのは生命の進化をたどるようでもあり、素敵なタイトルである。だが、ペンギン・ハイウェイの真の意味が明らかになるのは、ラスト近くでアオヤマ君が語る次の言葉である。

 世界の果てに通じている道はペンギン・ハイウェイである。

 世界の果てとはアオヤマ君が解き明かそうとする世界の謎だ。ペンギン・ハイウェイとは世界の謎へと至る道である。
 一方で、アオヤマ君のお父さんによれば、どうにもできないことが世界の果てだと言う。この世で最もどうにもできないことは死だ。だからペンギン・ハイウェイとは死へと至る道、すなわち人生に他ならない。

 アオヤマ君はペンギン・ハイウェイをものすごい速さで走る。世界の謎が遥か彼方にあること、にも関わらず人生が有限であることを知っているからだ。
 アオヤマ君のお姉さんに対する真っ直ぐな恋心は凡百の恋愛小説をはるかに凌駕する。一方で、アオヤマ君の愛は科学への愛、世界への愛と分かちがたく結びついている。こんなに構えの大きな現代小説が他にあるだろうか。

 本書を読み終えて、私は大いに反省した。人生は有限であるのに、自分は日々成長することもなく怠惰な日々を送っていたからだ。私も一心にペンギン・ハイウェイを走りたい。手始めにノートを買ってきて、小説についてメモをつけ始めた。

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