自らを追い込む作者――六花の勇者5感想


 (本稿は「六花の勇者5」のあからさまなネタバレを含みます。作品を読み前に読んではなりません。)

 「六花の勇者5」(山形石雄著、ダッシュエックス文庫)にはすっかり騙された。本作にはよほどのミステリー読みでないと見抜けないような叙述トリックが仕掛けられている。通常の叙述トリックの場合、読者は「そういうことか! 」と膝を打ってすっきりした気分になるが、本作の場合、ショックを受ける。
 物語の終盤、私は「何という愛! 何というツンデレ! 」と深い感銘を受けた。ところが、さらに読み進めるとそれが偽りであることが判明する。作者は叙述トリックを用いることで、フレミーが今後味わうだろうものと同じ絶望を読者に味わせることに成功したのだ。
 
 ただ、問題はこの後である。
 5巻でミステリーにおける最大の謎、七人目の正体が明らかになった。ミステリーでは謎が物語の原動力であり、謎が解けると話が終わる。本作は大貧民に例えれば、一枚だけ持っていたジョーカーを使ってしまい、よりしょぼいカードのみで上がりまで持っていかねばならないような状況なのだ。
 もう一つの困難は、読者が七人目に共感できなくなったということだ。七人目は本作でしばしば視点人物を務めていた。視点人物は読者と作品世界の接点だから、視点人物が共感できないキャラだと読者の心が作品そのものから離れてしまうことになりかねない。

 作中、主人公アドレットが自ら自分を大ピンチに追い込んだように、作者もまた、自らの手で自らを大ピンチに追い込んでいる。山形氏がいかにしてこの難局を切り抜けるのか、楽しみに待ちたい。

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