吉川英治とハンデ戦――三国志感想
(本稿は『三国志』のネタバレを含みます。)
出張に本を何冊も持っていくのは重いので、iPodTouchのi読書で青空文庫から吉川英治の三国志をダウンロードして読み始めた。めちゃくちゃ面白い。戦前に書かれたのが信じられない程文章が古びていない。文章が平易で、ダイジェストのようにさくさく話が進む点では、小説家になろうで主流の小説とも通じる所があるが、ここぞという所では唸るような美文を繰り出してきて、格の違いを見せつけられる。
キャラクターが山ほど出てくるのだが、ちょい役に至るまでどいつもこいつもキャラが立っている。登場人物の大半は武闘派ヤクザかインテリヤクザなのだが、主張キャラで唯一劉備玄徳だけが温厚なマザコンなのが面白い。ライトノベルの主人公みたいだ。おそらく張飛と関羽も、全員悪人みたいな中で一人だけ萌えキャラがいたのでころっとやられてしまい、義兄弟の契りを結んだのであろう。
読む前のイメージでは呂布は獣のような猛将だったのだが、本書では妻子想いのお人好しに描かれていて好感度が大幅にアップした。敵の家族に対する扱いも紳士的だし。一方、張飛は気風の良い漢という印象を持っていたのだが、読んでみると敵の妻子を平然と皆殺しにしたりと息をするように人を殺しまくっていて残忍すぎる。こんな危ない奴と義兄弟になんかなりたくねえ!
基本的に青空文庫の作品は文章が古びている。芥川や太宰のように古びていないものもあるがそれほど長くないので現代作家にとっては大きな脅威ではなかった。しかし吉川英治は中学生が読んでも面白い上に、著作が膨大にある。読者は極上のエンターテイメント小説を数年分も無料で読むことが出来るのだ。吉川英治と対等の条件で読者を奪い合うだけでも大変だったのに、現代作家は無料で読めるというアドバンテージを持った吉川英治と戦って、読者の財布の口を開かせねばならない。こんな条件をクリアできる作家は数えるほどしかいないのではあるまいか。
吉川版三国志で唯一違和感を感じたのが女性に関する箇所だ。劉備が居候中、夜、家を抜けだして美女と梨畑で仲良く語り合うシーンがあるのだが、それを知った関羽と張飛はがっかりして「あんな柔弱な人物だとは思わなかった」「志を得ぬ欝勃をそういうほうへ誤魔化しはじめると、人間ももうおしまいだな」などとボロクソに貶し始める。お前ら恋愛禁止のアイドルかよ!
基本、武将が女性に熱を入れ始めると失脚するパターンであり、恋愛は下等なものであるという価値観で貫かれている。
そう言えば昔はある程度の敬意が払われていた硬派な男というのが、単なる非モテ男に変って久しい。戦前と現代で一番大きく変わったのが恋愛観なのであろう。
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