東雲文芸１６――企業小説

 愛はどこだ



　「出金伝票を切るときは、愛を添付して下さい。」
経理の木下さんは私が提出した書類を一瞥するなり突き返した。慌てて自分の机の上をかき回すが見つからない。
「課長。日本ドナドナの件の愛ってこちらに届いてましたっけ。」
「いや、見てないな。なに、愛が無いのか。それは困ったな。」
忙しくキーボードを叩く手を止めて、佐々木課長が答えた。
「愛はＣＯＷ商事から届いたライセンスキーに同封されていたはずだ。だが、君が受け取った封筒には入っていなかったんだな。」
「はい。」
「その時、封筒の封はどうなっていた。」
私は必死に記憶をたどった。
「確か開封済みでした。」
「なるほど、ということは、社内の誰かが愛を持っている可能性があるな。」
佐々木課長は眼鏡を取って目元を揉んだ。
「社内に届いた郵便物は総務部の石田さんが受け取って選り分ける。まずは石田さんに当たってみなさい。」

　「ああ、それなら、研究部の中村さんに回しました。」
石田さんはこちらを一瞥すると、郵便物を分ける手を休めずに言った。
「何故です。あれは輸入企画室宛の荷物なのに。」
「中村さんが直々に取りに来たんです。早急にライセンスキーが必要だからって。」
なるほど。あのライセンスキーは研究部からの依頼で、輸入企画室が購入したものだ。そういう事情ならばしょうがない。
「石田さんが受け取った時、中に愛は入っていましたか。」
「私は開封していませんので。」
「それじゃあ分からないか……」
石田さんは椅子を回すとこちらに向き直った。
「私は一日に五千通以上の郵便物を捌きます。その中には愛のあるものもあれば無いものもある。それらをかれこれ四十年以上捌き続けてきました。ダイレクトメール。あれには愛はない。発注書。あれには愛がある。」
石田さんはしみじみと宙を見つめた。
「それで、ＣＯＷ商事からの郵便物に愛はあったんですか。」
「まあ、話を急ぎなさんな。愛があるかないか、それを見分けるにはどうしたら良いと思う？　重さだよ。どんなに愛にも重さがある。愛の重さは不思議なことに全て０．５ｇなんだ。ライセンスキーは１３ｇで封筒は１．３ｇ。だが、あの郵便物の重さは１４．７ｇだった。愛が含まれている何よりの証じゃないか。」
「貴重な情報を有難うございます。」
私は深く一礼すると、研究部に向かった。
　
　「あれなら海外企画室に貸したよ。早急にドナドナＶｉｅｗを使いたいというから。」
中村さんは喫煙室で煙草をふかしながら答えた。私は思わずよろめいて壁にもたれかかった。私の様子を見た中村さんが苦笑した。
「海外企画室と輸入企画室が犬猿の仲なのは知ってるよ。でもね、いつまでもいがみ合っているわけにもいかないだろう。」
中村さんが体を寄せてきた。危うく口づけしそうになり、慌てて顔を背ける。中村さんは私のことを可笑しそうに見つめると、私の顔に煙草の煙を吐きかけた。
「それで、中村さんが海外企画室に回した郵便には愛が入っていたんですか。」
「もちろん。私がこの目で確認したさ。私は愛は自分の目で確かめなければ気のすまないたちでね。」
中村さんがさらに身を寄せてきた。私は壁際に押しやられて身動きもままならない。このままでは危険だ。
私は人をかき分けかき分け、喫煙室を出た。一畳しかない喫煙室には、中村さんと、後から入ってきたもう二人の煙が充満し、三人の姿はほとんど見えなかった。

　「一体この部屋のどこに愛があると言うのかね。」
海外企画室の鬼頭室長は、がらんとした部屋を手で示して言った。その部屋には机もパソコンもキャビネットも何もなかった。三人の部下は、手持ち無沙汰に床に体育座りをしている。
「さあ、笑うが良い。新社長が専務をカムチャッカ支店に飛ばして以降、うちの課はこの有様だ。さぞ気分が良いことだろうよ。」
「パソコンもないのに、どうしてドナドナＶｉｅｗが必要だったんですか。」
「ドナドナＶｉｅｗのライセンスキーが封筒折りにちょうど良かったんだ。その封筒折りの仕事も先週で無くなったけどな。」
鬼頭室長は床に目を落として吐き捨てるように言った。
「何なら伝票入力の仕事をお願いできますか。古い出張用のノートＰＣをお貸ししますから。」
「かつての敵に塩を送るのか。情けなど無用と言いたい所だが、このまま仕事がなければ全員クビになってしまう。温情に甘えるとしよう。」
鬼頭室長は目を潤ませた。
「それでＣＯＷ商事からの愛はどこですか。」
「だから、ちゃんと封筒に同封して輸入企画室に届けたと言っただろうが。私をバカにしているのか。」
鬼頭室長が激高したので、私はそそくさと輸入企画室に逃げ帰った。

　「それで、愛は見つかったのかね。」
佐々木課長の問いかけに、私は首を振った。
「絶対海外企画室が隠し持ってると思うんですがね。」
そこに、鬼頭室長の三人の部下がやってきて、私の机の上から、パソコンに入力する伝票の山を持っていった。
「ああ、海外企画室に伝票入力を頼んだんですよ。これでやっと一息つけますね。」
三メートルの伝票の山を抱えた三人を見送ると、私はどっさりと椅子に座った。
　机の前のパネルに愛が貼ってあった。伝票の山に隠れて見えなくなっていたのだ。
「忙しさにかまけて愛を見失っていました。」
私が言うと、課長は
「愛を受け取ったことを忘れていたことの方が問題だ。」
と苦々しい顔をした。


(08.08)

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