世界は辞書のようには決まっていない――神明解ろーどぐらす感想



(本稿は『神明解ろーどぐらす』の内容に触れています。)

 『神明解ろーどぐらす』(比嘉智康著、MF文庫J)は変な話である。大体にしてタイトルからして変だ。最近のライトノベルは『僕は友達が少ない』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』みたいに内容を端的に表したキャッチーなタイトルをつけるのが流行っているが、『神明解ろーどぐらす』は一見どんな話なのか想像がつかない。私など、読み終わってもしばらく「ろーどぐらす」が何なのか分からず、英和辞典を引いてしまった程だ。

 比嘉智康氏はMF文庫Jというハーレムラブコメにあらずんば人にあらずというレーベルにあって、全力で普通のハーレムラブコメを回避している。氏は明らかにプロットを組まずに書いているし、キャラも話もライトノベル的お約束からずらしてくる。
 氏のデビュー作『ギャルゴ!!!!!』は主人公が人間以外にだけモテるというハーレムラブコメ好きのツボを巧みに外した設定だった。第二シリーズの『神明解ろーどぐらす』は主人公が女子三人と下校しながら駄弁るという設定だけ見ると、『生徒会の一存』以降隆盛を極めた典型的日常系作品としての要素を備えている。だが、内容はと言うとそこはかとなく風変わりなのだ。一体どこが違うのか。おそらくキャラクターや世界観がライトノベル的にかっちりしていないのだ。

 『生徒会の一存』は立ちまくったキャラクターといい、エロ含みでいじり、いじられながらボケまくる女性陣に男子が突っ込みまくるというフォーマットといい、極めてライトノベル的だ。キャラクター、フォーマット共にかっちりしていて、ブレがない。『GJ部』は『生徒会の一存』ほどフォーマットががちがちではないが、キャラクターはライトノベル的でブレが少ない。『僕は友達が少ない』のキャラクターは時折がらりと別の側面を見せたりするものの、通常時は全くブレない。
 『神明解ろーどぐらす』のキャラクターはやたらネガティブな千歳を始め、設定上は極めてライトノベル的にキャラが立っている。だが、現実的な肉付けがされているせいで、わりと行動が突飛な方向に突っ走らず、不思議なリアリティがある。
 本作では、ヒロインの千歳が『相合傘』を辞書で引き、その意味が他のキャラクターの現実的認識と異なっていたため行き違いが起こるというエピソードがある。このシーンは比嘉智康という作家を象徴している。
 タイトルにもなっており、作中にも登場する『新明解国語辞典』は既存の語釈をなぞるばかりの従来の辞書に対し、より実感に合った語釈を目指して編纂された辞書だ。『神明解ろーどぐらす』も、既存のお約束をなぞるばかりの従来のライトノベルに対し、より実感に合った感情描写を目指して書かれている。フィクションのお約束をそのまま受け入れず、絶えず現実との間ですり合わせて修正をかけていく。その姿勢は極めて文学的だ。

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