最近の東雲



浅草はサービスサービスゥ



 毎日都内に通勤しているにも関わらず、浅草に行ったことがない。いつでも行けるからいいやと思っていたのだが、このたび勤め先が変わるかもという話が持ち上がり、定期券+百数十円で行ける内に行ってしまおうと思い、寒風吹きすさぶ中、出かけた。
 都営地下鉄浅草駅を降り、大通りに出ると、建設途中の隅田タワーがバーンと目に飛び込んできた。反対側に目を転じると、客待ちの人力車がずらっと並んでいる。人波にそって進んでいくと、有名な雷門が出現した。雷門をくぐると、そこは仲見世だ。もんじゃ焼に雷おこしといった食べ物に、キーホルダー、扇子、手ぬぐいといった定番土産、和服、番傘、工芸品からスターのブロマイドまで、ありとあらゆる狭い間口の土産物屋がずらっと軒を連ね、見ているだけで楽しくなる。十個二百円の人形焼を買い、国際色豊かな人波と共に進んでいくと、浅草寺に出た。薄暗い本堂には極彩色の天井画が並び、読経の声がわんわんと響いている。日々刺激に慣れている現代人の私でもおっと思うくらいだから、江戸時代、ここを訪れた人は、大興奮だったろう。百円のおみくじを引き、五重塔の脇を抜けて境内を出た。そこは花やしき通りで、独特のレトロ感ただよう店が並んでいる。昭和初期からやっていそうな大衆食堂や、怪しげな占いの館を見ながら先に進む。
 「らあめん290円」というでかい看板につられて、ラーメン屋に入った。カウンターの立ち食いと、屋外のテーブル席という構成で、結構客が入っている。食券を買おうと財布を取り出していると、客の誘導をしている人が寄ってきて、注文を聞き、厨房に、「ラーメン!」と伝えた。そしてテーブル席が空いたのを見てとるや、「座ってお待ち下さい。」と指し示した。私は寒い屋外で食うのは嫌だったので、従わずに立っていると、すかさず、「カウンターでも良いですよ。」と誘導してくれた。この時、私は浅草という街が分かった気がした。浅草はとにかくサービス精神が旺盛なのだ。
 浅草は、上記のラーメン屋のような安い店から、何千円という高い店まで、あらゆる店が狭いエリアに寄せ集まっているが、これは、お客のあらゆるニーズに応えることが良いサービスであるという町の思想を反映しているように思う。私が最も浅草らしいな、と思ったのは、古い木造の店が並ぶ伝宝院通りで、店の前に真新しい出店を出して宝くじを売っている光景だ。他の観光地だったら、街並み景観がうんたらといって、止めさせると思うのだが、浅草では、宝くじも買えた方がお客さんが便利だろうという思想なのだ。
 結局、私は、帰りに買った八十円の揚げ饅頭とお賽銭一円を合わせて、六百七十一円でお土産までついて楽しめた。こんな観光地はなかなかない。


 付記:その後、台東区中央図書館内にある池波正太郎記念文庫に行ったのだが、そこに展示されていた仕事場のガラスケースに、池波氏の随筆からこんな文が抜粋されていた。

 私どもの仕事〈いや、どんな仕事でもそうだろうが・・・・・・〉はなんといっても、自分で自分と闘わなくてはならない。
「書けない」
とおもったらそれこそ一行も書けないのだ。
 その日その日に、先ず机に向うとき、なんともいえぬ苦痛が襲いかかってくる。
 それを、なだめすかし、元気をふるい起こし、一行二行と原稿用紙を埋めていくうち、いつしか没入することができる。


 池波正太郎ほどの大家でもこんなに苦労して書いていたのだ。浅草寺で引いたおみくじは、末吉で、「鯤鯨未變時(大望がいまだ実現できない)」とあった。私もまだまだ努力が必要なようだ。

(10.02)



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