燃える文章が書きたいなら「戦う司書」に学べ――戦う司書と世界の力感想




 小説の2010年年間ベストを選定していて、戦う司書シリーズ完結編、『戦う司書と世界の力』(山形石雄著、集英社スーパーダッシュ文庫)の感想という名の評論をまだ書いていなかったことに気がついた。だが、これ、めちゃくちゃ評論の書きにくい小説なのだ。
 『戦う司書と世界の力』の感想を書くのは簡単だ。めちゃくちゃ面白い。誰だかが評していた「全編がクライマックス」という言葉がぴったりだ。大逆転につぐ大逆転。こんな小説読んだことない!
 一方で、評論を書こうとすると、難しい。何故なら、評論で書くようなことが全て作中に書かれてしまっているからだ。具体的には、私が論じようとしていたことは、既に作中でマットアラストさんに語られてしまった。そこで、今回はテーマではなく、文章について論じることにした。

 戦う司書シリーズの魅力は何と行っても血沸き肉踊る興奮だが、それを裏打ちしているのは、没入感の高い燃える文章だ。まずは、例文を読んでみて欲しい。(比較的ネタばれになりにくい箇所を選んだつもりだが、ネタばれが嫌で鋭い人は、内容については深く考えないようにして読んで欲しい。)

例文:
だがそのとき。
「はああ!」
いるはずのない誰かの声がした。いるはずのない誰かの蹴りが、”刀髪獅子”を弾き飛ばした。
仮想臓腑には、もう誰もいないはずだ。食った『本』の魂は、ルルタに敗れた。残された者も、終章の獣に倒された。ハミュッツすら、もう戦えない体になっていた。
 だが、いるはずのない誰かは手のひらで、”槍士”の突きをそらし、身を翻して裏拳を叩き込む。”象兵”の足もとに回り込み、強烈な踏み込みとともに、肩と背中を打ちつけた。

1)累加の手法
燃える文章では様々なことを強調しなくてはならない。敵の強さ。主人公の心の強さ。仲間の絆の強さ。例文では誰もいない根拠を〜た。〜た。〜た。とリズミカルに三つ重ねて語り手の驚きを強調している。また、三行目で、”いるはずのない誰か”という言葉を二回重ねているはずのなさを強調すると同時に、いるはずのない誰かの行動を立て続けに描写することで、”いるはずのない誰か”の奮迅ぶりを読者に深く印象づけている。

2)事実の隠蔽
例文の箇所では、いるはずのない誰かが誰なのかを一ページ近く伏せている。そうすることで、読者に「誰なんだろう」という興味と「もしかして○○なんじゃ」という期待を膨らませ、最後に真実が明かすことで、一気に快楽を与えることに成功している。この手法はむやみにやるとあざとくなるが、ここでは必然性がある。何故なら、突然、誰かが目の前に飛び出して戦い始めたら、その場にいた人はまずは「誰か」が戦っていると認識し、その後から、正体を知るのが普通だからだ。

3)接続詞や主語の省略
接続詞を削れ、という教えは文章読本の定番であり、小説でも例外ではない。仮想臓腑には〜の後も「何故なら」という接続詞を省くことで文章のテンポを良くしている。また、主語がしばしば省かれているのも山形氏の文章の特徴だ。例文でも最後の文で主語が省かれているが、より顕著なのは、モノローグにおける主語の省略だ。本作には、「○○は〜〜〜〜と思った。」という文章がほとんど出てこない。代りに、「○○は××した。〜〜〜〜。」という風に、登場人物が思っていることを直接書くことが多い。そうすることで臨場感を高めているのだ。

 以上、三点について論じたが他にも学ぶべき点は多い。だが、自分でも小説を書こうとは思っていない読者には、こんな解説は不要だったかもしれない。そういう読者のために、もう一度、シンプルな感想を書いておこう。

 めちゃくちゃ面白い。こんな小説読んだことない!



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