ストレートで勝負しろ!――ヴァンパイア・サマータイム感想



(本稿は「ヴァンパイア・サマータイム」の内容に触れています。)

 最近のライトノベル書評界で石川博品氏程愛されている作家はいないだろう。だが私は「耳刈ネルリ」も「カマタリさん」もちょっと褒められすぎではないかと思っていた。石川氏の作品はどれもかなり変な内容なのだが、両作の場合、テーマとは関係なく変な設定が多いのだ。言い換えるなら必要以上に変だということで、変わった小説が好きなコアな読者むけの作家なのだと思っていた。なので「ヴァンパイア・サマータイム」には驚いて唸って自らの不明を恥じた。滅茶苦茶正統派で完成度の高い恋愛小説だったからだ。

 石川氏らしく「ヴァンパイア・サマータイム」(ファミ通文庫)にも人口の半分が吸血鬼という変わった設定が存在する。だがこの設定は違う二つの世界の二人によるボーイミーツガールというテーマと分かち難く結び付いている。しかも主人公ヨリマサが夏休みの間生活サイクルが昼夜逆転することがヒロイン冴原達吸血鬼の世界へと越境することと二重写しになっていて「テーマと分かち難く結びついた設定フェチ」の私はぞくぞくする。

 そして本作最大の魅力は鮮やかで詩的な文章だろう。
「ヨリマサは暗いことに甘えた。見られていることに気づかないふりをして彼女のことを舐めるように見た。昼間の人間だって闇を武器にできるのだといってやりたかった。」
とか
「あたりに人影は見えなかった。吸血鬼の目もここまでは届いていないようだった。ヨリマサは闇を利していた。彼女の目さえ盗んでしまうつもりだった。」
なんて書き写しているだけで泣きそうになる程うっとりする。こんな文章が書ければなあと憧れ、嫉妬を禁じ得ない。

 最近、「後宮楽園球場」(スーパーダッシュ文庫)の打ち切りが公表され、ライトノベル書評界に落胆が広がった。確かに「後宮楽園球場」は面白いし切ないし作りこまれた傑作だと思うが(「ヴァンパイア・サマータイム」と全く文体が違うすごさよ!)、後宮+野球なんてこんな変な設定の小説が売れる訳ないじゃんとも思う。変であることが悪い訳ではないのだが、変なものが好きな読者より王道なものが好きな読者の方が多いのである。

 石川氏は150kmの速球を投げられるのに変化球ばかり投げている投手のようだ。ストレートで勝負して満天下に石川博品の名を知らしめて欲しい。

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