「やぎさんゆうびんの謎」新説
やぎさんゆうびんの謎
を読んで感心したので、私も考えてみた。
「やぎさんゆうびんの謎」で提示されている仮説は次の三つである。
1)飢餓説
2)恋愛説
3)死刑囚説
このうち、2)と3)は筆者も書いている通り、二人が「読んではならない」と「返事を出さねばならない」のアンビバレントな状況に置かれているという点で同じ構造を持つ。同一の構造を持つ説なら、(説としての破天荒さはさておき)いくらでも作ることが出来る。例えば、黒やぎさんが「技術者としての倫理観から内部告発をするが会社が潰れてはこまる社員」で白やぎさんが「その事実を公表して会社を潰したくはないが、立場上もみ消したりもできない社長」である等々。
しかし、それでは「やぎさんゆうびんの謎」に屋上屋を重ねるに過ぎない。そこで私は1)−3)とは全く違う説を考えた。それは「超能力開発説」だ。
黒やぎさんと白やぎさんは、超能力開発を誓い合った同士なのだ。その超能力とは、手紙の中身を読むことなく、食べるだけで内容を察知する能力だ。この能力は、念動力のように非科学的な能力ではない。と、いうのも、手紙において、インクのある部分とインクのない部分の味が異なることは十分に考えられるからだ。いわば、麻雀における黙牌の味覚版である。
とはいえ、やはり舌先のみで、細かな文字の種類を弁別することの大変さは想像するに難くない。黒やぎさんも白やぎさんも極限まで味覚を研ぎ澄ませて臨むものの、失敗の連続だ。『さっきの手紙のご用事なあに 』という牧歌的な一言の裏には、またしても中身を読み取れなかったという痛恨の念が込められていたのだ。
「やぎさんゆうびんの謎」に関しては内容とは別に、書かれた年(1999年)にも感銘を覚えた。ネットにアップされてから十年近く経って、やおら大評判になることもあるのだ。
私の「そんなの関係ねぇのは何と何がか 」等の雑文も、十年後くらいに俄然注目を浴びる可能性がないこともないのだと思うと、希望がわいてこないこともない。
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