惚れ惚れする隠喩――明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。3感想



 (本稿は『明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。3』のネタバレを含みます。)

 『明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。』(藤まる著、電撃文庫)はちょっと不思議なタイトルである。ヒーロー坂本秋月の一人称は俺なので、『明日、俺は死ぬ。君は生き返る。』とする方が自然だ。にも関わらず何故「ボク」なのだろうか。
 1巻を読んだ時点ではそれほど深い意味などないのだろうと思っていた。セカイ系のことを「キミとボク」小説だなどと言うし、語呂が良いからかな、などと漠然と考えていた。
 ところが、最終巻たる3巻で、タイトルの意味が明らかになる。何とボクとは坂本ではなくヒロインの夢前光であり、キミの方が坂本だという。ずっとヒーローに憧れ、「念願の不良の体を手に入れたぞ! これで怖いものなしだ!」と言っていた夢前光がようやくヒーローになれた証。それがボクという一人称だったのだ。
 『明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。』は受賞時タイトルのまま出版された。つまり藤まる氏はまだ一巻が出版されるかも分からない段階で最終巻のことを考えてこのタイトルで応募したのだ。すごすぎる。

 タイトルを筆頭に、本作には惚れ惚れする隠喩が目白押しだ。3巻で登場する隠しメッセージは死者を思い出すことの隠喩になっているし、二心同体は二人が分かち難く結びついていることを象徴している。千秋が象徴的にも一人で歩けるよう隼人は心を砕く。登場人物の行動が表面的な意味の他により深い意味をはらんでいるから私はより心を揺さぶられたのだろう。

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明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。感想
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