物語が終わり、始まるまで――いなくなれ、群青感想



 (本稿は「いなくなれ、群青」のネタバレを含みます。)

 『いなくなれ、群青』(河野裕著、新潮文庫NEX)は反物語小説だ。
 物語とは変化を描くものだ。作品冒頭で、あらゆる物語を象徴する存在である「一〇〇万回生きた猫」が「移動こそが幸せの本質だ」と語っているように、物語は必然的に移動、すなわち変化を内包する。

 本作の舞台、階段島は外界から途絶され安定した停滞の中にある、物語=変化とは対極にあるような島だ。語り手の七草もまた停滞を是認している反物語的存在だ。そして本作の構造が反物語的だ。

 小説の中で最も物語的なジャンルは教養小説(=成長物語)だろう。何しろ作品の中心である主人公の変化を描いているのだから。一方、ミステリーは探偵は変化せず、事件という既に起こった変化を解明するものだから、物語度は低い。
 本作もまた階段島の謎を解き明かすミステリーだが、通常のミステリーより更に反物語的だ。通常のミステリーは謎が未解明状態から解明された状態へと状況が変化する。本作は探偵役たる七草が小説の開始時において既に謎を解き明かしており、単に読者に明かしていないだけなのだ。何て徹底した反物語的主人公だろう。

 一方、ヒロインの真辺由宇は極めて物語的だ。彼女はあらゆることが解決可能であると信じており、卓越した行動力で停滞した島を擾乱する。本作は七草と真辺の、反物語と物語の思想闘争小説でもある。

 なにもかも全部終わってしまって、エピローグの翌日から始まるような。スタッフロールが流れ終えて観客が席を立ったあとの静寂みたいな安心を求めていた。
 この物語はどうしようもなく、彼女に出会った時から始まる。

 プロローグの二文が本作の性格を明確に規定している。「いなくなれ、群青」は物語が終わり、新たな物語が始まるまでを描いている。普通の物語作家が切り捨てる所をあえて切り出す。この斬新さに痺れた。
 本作は他にもプロローグとエピローグで「どうしようもなく」の意味が変化している所など、作者の練りに練られた工夫が随所で炸裂していて何度も唸らされた。

 それにしても「いなくなれ、群青」というタイトルは実に印象的だ。もし私が本作にタイトルをつけるとしたら「さよならピストルスター」とでもなるのだろうが、「いなくなれ、群青」の方が断然響きが良い。こういう言語感覚はなかなか真似出来ないなあ。

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