作家が神にならないために――神様のメモ帳6感想




 探偵というのは、世界に対して、読者でしかいられないものなんだ。この世界の複雑さを受け入れ、その通りに読み取り、より分け、咀嚼し、帰納するしかない。でも
 作家は、ちがう。ぼくはある作家の執筆方法に関するコラムを読んだことがある。彼はこう書いていた。ラストシーンから、時間の流れとは逆に小説を書くことだってできる――むしろそれが物語の作り方としては正しい、と。わかるかい。作家は世界を演繹できるんだ。(神様のメモ帳6,p274)

 神様のメモ帳シリーズはミステリーとは何かというメタミステリーになっているが、とりわけ、上記の6巻におけるアリスの台詞には考えさせられる。アリスはラストシーンから書くのが物語の作り方としては正しいと言っているが、ミステリーの作り方としては正しいと言うべきだろう。上橋菜穂子氏や五代ゆう氏など、ファンタジー作家を中心に、ラストシーンを決めずに書き始める作家は多い。そういう作家は、「この世界の複雑さを受け入れ、その通りに読み取り、より分け、咀嚼し」た結果に基づいて物語の行く末を決める。そしてその方が物語の作り方としては自然だと思う。何故なら、現実世界では結末は決まっていないからだ。逆に言うならば、結末を決めずに書き始める方がリアリティを重視しており、結末を決める方法はエンターテイメント性を重視していると言える。

 ところで、上記のアリスの台詞はねじれを含んでいる。アリスは世界を帰納するしかない探偵は未来を変えることができないが、作家は結末を決め、演繹することで未来を変えることができると説く。しかし、結末を先に決めてしまう「作家」は過去の自分に縛られて結末を変えることができず、結末を決めずに書く「探偵」タイプの作家は自らの手で結末を変えることができる。何故、ミステリー作家は結末を先に決めることで、わざわざ自分を縛るのか。

 みんな末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし……であらゆる物語を締めくくれたらどんなに楽かと思う。
 でも僕は探偵助手で、僕の綴る物語の終わりにはいつも宿命的に探偵が立ち合う。(同p306)

 それはおそらく、この世界には起こってしまった過去に代表される、どうしようもないことが存在するからだ。小説が現実世界の相似形だとするならば、小説を書くにあたっても、作者には自分の意志で自由に変えられることと、自分の意志ではどうしようもないことの双方が必要だ。自分の意志ではどうしようもないこととしてミステリー作家は過去の自分が決めた結末を設定し、ファンタジー作家は物語世界の声に耳を澄ます。
 作家は作品世界における万能の神としてふるまってはならない。



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神様のメモ帳とは何か
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