物語への叛逆者――劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語感想



 (本稿は『劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』のあからさまなネタバレを含みます。)

 劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語はタイトルが示す通り、ほむらによる叛逆の物語である。ほむらの行為は世界に対する叛逆であり、円環の理に対する叛逆であり、キュゥべえに対する叛逆であり、まどかに対する叛逆だ。だが、より本質的に考えるなら物語に対する叛逆である。

 物語とは即ち成長物語である。もちろん、サザエさんのように作中人物が成長しない物語も存在する。だがそれは作中において時間が経過しないという特殊な条件でのみ成立する。作中で時間が流れているなら、登場人物は否応なく成長してしまう。全然成長せず同じ失敗を繰り返すようなキャラクターであっても少なくとも老化はしているのであって、同じ所に止めおくことは出来ない。

 テレビ版まどか☆マギカの時から一貫して、ほむらはまどか☆マギカがまどかの成長物語になるのを妨げようと孤軍奮闘してきた。ほむらの能力が時間操作であるのが象徴的だ。物語上に流れる時間によって絶えず働いているキャラクターを成長させようとする力に抗することができるのは、時間操作能力を持つ者だけなのだ。ほむらが一貫してキュゥべえと敵対しているのもほむらの本質に原因がある。卵を孵化させる者=インキュベーターたるキュゥべえに対し、ほむらは卵の孵化を押し留める者=アンチインキュベーターとも呼ぶべき存在だ。
 通常の物語ではインキュベーターが主人公、アンチインキュベーターが敵役になる。例えば『半沢直樹』では半沢直樹がインキュベーター、大和田常務がアンチインキュベーターだ。唯一、アンチインキュベーターたる佐幕派がしばしば主人公側になるのが幕末ものだが、佐幕派が正義で勤皇派が悪という二項対立で描かれることはまずない。勤皇派の勝利に歴史的必然性があるからだ。一方、まどか☆マギカではインキュベーターが完全悪のように位置付けられている。彼らなりのロジックがあるので悪ではないのかも知れないが、少なくとも視聴者でキュゥべえを応援している人はまずいない。そこがまどか☆マギカのユニークな所だ。

 ほむらはキュゥべえと対立するがまどかとも対立する運命にある。ほむらはまどかの成長を押しとどめようとするのに対し、まどかは成長しようとしているからだ。二人は一番の友達であると同時に物語構造上の敵対者なのだ。TVシリーズでは最後にまどかが勝利したが、本作ではほむらが勝った所で終幕を迎えた。だが、作中で示唆されている通り、この勝利は仮初のものに過ぎない。世界に時間が流れている以上、物語を逆に動かそうとする者が永続的に勝つことは不可能なのだ。 

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