まちがっていないと届かない――やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6感想



(本稿は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6』のネタばれを含みます。)

 物語とは問題解決過程である。勇者と魔王が戦うようなファンタジーではもちろんのこと、日常系のような作品でも何かしらの小さな問題が発生しそれを解決することで話が進んでいくのが普通だ。その際採られる問題解決手法には様々なものが考えられる。例えば「魔王にさらわれた姫を取り返す」という課題の解決手法としては、1)魔王と戦って勝つ、2)魔王と交渉する、3)魔王城に忍び込む、4)魔王を騙す、5)第三勢力に調停を依頼する、6)姫に魔王を倒させる、など色々ある。
 『ソードアート・オンライン』や『とある魔術の禁書目録』に代表されるように、ライトノベルでは「敵と戦って勝つ」のが主流だ。ミステリー要素のある作品では「謎を解く」ことで問題解決を図ることも多い。また、学園もののような作品では「敵と和解する」ことで問題解決することもある。主人公達の部活を廃部にしようとしていた生徒会長が「下らない部活だと思ってたけど、あなた達なりに頑張っているのね。廃部は撤回するわ。」とか言うパターンだ。現代の物語の九割方は「敵と戦って勝つ」「謎を解く」「敵と和解する」のどれか、またはその組み合わせによって問題解決を図っている。
 この三通りが良く用いられるのは、カタルシスが得られるからだろう。敵に勝ったり、謎を解いたり、敵と和解したりすると、主人公はすっきりし、読者もすっきりする。エンターテイメントとして正しい問題解決手法だ。だが、問題解決の方法はそれだけだろうか。

 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6』(渡航著、ガガガ文庫)で主人公比企谷八幡が採った問題解決策は「自分が誤解されることで他者を誘導する」という変わったものだ。この手法が上記の三つと違う所は、確かに問題自体は解決するものの主人公が誤解されてしまうので主人公も読者もカタルシスが得られない点だ。従って読後感はほろ苦い。エンターテイメントにおける問題解決手法としてはまちがっている。
 だが、そもそも正しい問題解決手法を採れるような人間は、ライトノベルなんか読まずに、現実世界で正しい青春ラブコメのような生活を送っているはずなのだ。現実世界では、敵に勝ったり、謎を解いたりすることは稀だ。従って、現実世界における正しい問題解決法とは敵と和解すること、すなわち他者と上手くコミュニケーションをとって、相互理解を深めることである。本作における葉山隼人のように。
 しかし、誰もが葉山のように上手く他者との関係性を築けるわけではない。そしてライトノベルは、ことに『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のような作品はコミュニケーションが上手く取れないような人に向けて書かれている。まちがった問題解決法しか採れない人に正しい問題解決法を示しても、そんなものは作り事でしかない。まちがっているからこそ読者に血肉をもって届くのだ。

 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』は一貫して正しい青春だけが青春ではない、というメッセージを発して、まちがった青春を送る読者に寄り添っている。本書によって救われた読者がきっと大勢いる。


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