名探偵よさらば――やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9感想



(本稿は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9』のネタバレを含みます。)

 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(渡航著、ガガガ文庫、以下はまち)は探偵小説の構造を持つ。奉仕部が探偵事務所であり、主人公比企谷八幡が探偵だ。通常の探偵は過去に起きた事件の真相を示すのに対し、八幡は課題の解決策を提示、実行するという違いはある。だが、読者にとって探偵の示す解が唯一解であると感じられるなら、それが過去の出来事(=事件の真相)か未来の出来事(=課題の解決策)かは本質的な問題ではない。
 シャーロック・ホームズに代表されるように、探偵は社会的不適合を抱えている。それは一つには社会的不適合を抱えたアウトサイダーだから、物事を常人とは異なった客観的視点から見ることが出来るという資質の問題であり、もう一つは探偵という行為が不都合な真実を暴き立てることだから結果として疎外されるという側面である。八幡はひねくれ者のぼっちであるから、探偵たる資質を有している。
 八幡の探偵としてのピークは6巻の文化祭のエピソードだろう。この巻は八幡の探偵としての資質と探偵の結果としての疎外が鮮やかに描かれていて、探偵小説的にはシリーズ最高傑作と言えよう。

 はまちが面白いのは、巻が進むにつれ探偵小説の枠組みが崩壊していくことだ。青春小説としてのリアリティが高くなるのに従って、虚構の産物である探偵小説としての側面が自壊していっているようにも見える。
 探偵事務所が壊れた8巻に続いて、9巻では八幡が自分では解決できないからと奉仕部に助けを求める。8巻でも八幡は他者に助けを求めていたが、これは探偵が情報屋に助けを乞うようなもので、解決の主体はあくまで八幡にあった。だが、9巻では別の探偵たる雪乃に助けを求めており、これはホームズがポワロに助けてくれというようなものである。探偵が依頼者に変わる。こんな小説がかつてあっただろうか。
 9巻で示された難題は「アホなリーダーにアホと言えない。」という難題とも言えないような内容であり、6巻の頃の八幡なら自分が悪者になることでたちどころに解決したであろう。だが、痛みを知って社会性を身につけた八幡は名探偵ではなくなってしまった。それは成長であり八幡のためには寿ぐべきことなのだが、読者としては昔の痛々しい快刀乱麻が懐かしい。

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